バンドやろうぜの学生時代
ギターを始めた男性のほとんどの動機は女性にもてたいというものだろう。1970年代当時、フォークギターはもてたい男性の3種の神器?だった。例えば車を持っている学生の場合、女性とのデート成功率は驚異的に高かったが、私のように金のない学生の場合は、何か女性の気を引くような方法できっかけを作る以外に道がなかった。フォークギターならお安いもので五千円から一万円で買うことができた。元々母親がクラシックギターを勉強しており、最初は母親のクラシックギターを借りて弾いていたが、どうも世間の若者のギターと音が異なる。よく見ると彼らのギターはスチール弦を張ったギターで、私のナイロン弦を張ったギターとは明らかに違う。これが世間で言うフォークギターだとわかった。何とか小遣いを溜めて、アリアというメーカーのフォークギターを購入し、指を腫らせながら練習に励んだ。
さて数ヶ月も経つと、女性の前でなくても人前で披露したくなる私の自己主張の虫が出てきた。友達と相談して文化祭に演奏することになった。と言ってもレパートリーに限界があり、当時近畿放送(現在のKBS京都ラジオ)で一世を風靡していた高石ともやとザ・ナターシャセブンの曲数曲とメンバー選曲のもの数曲を半々ずつ演奏する事にした。編成はギター3台+ベースというものだった。私ともう1名の初心者に加え、ステージ経験もあるメンバー2名を入れての演奏だった。このステージで私は1曲だけだが生涯唯一の歌手体験をする。そしてステージの怖さを嫌というほど知るはめになった。上がる、あせる、チューニングが合わない、モニターが聞こえない等々。人生初のバンドは多くの試練を私に与えてくれた。
