我がサラリーマン人生
おやじの話に乗せられて製造会社に就職し、希望する「製造現場」に配属された。現場では次々と原料が形を変えて製品となって流れてくる。まさにこれが日本を支えてきた工業だと思った。現在世界ではITの進歩で指先のクリック一つで種々のサービスが買える時代になっている。しかし私は今でも自分の手でものをつくり上げることがどれほど尊いことかを、自分の40年の製造会社での経験を通じて知っている。
配属が決まって最初に案内されたのはうす汚い事務所だった。そこにはそばかすだらけで頭にタオルを巻いた人が誰かとしゃべっていた。それが私の最初の上司だった。この人はいつも世界一になることばかりを話していた。殺風景な事務所だったが独特の活気に包まれていた。それから15年ほどはものづくりのど真ん中で仕事をした。ライバル会社はどうやって安くて良い製品を作っているのかを試行錯誤しながら現場で考えた。現場の中には良い提案をしてくれるメンバーが大勢おり何度も助けてくれた。また仕事は団体プレーだが、大勢のメンバーに仕事をしてもらうために人とよくしゃべり、また厳しいこともお願いした。40代後半になり担当するビジネスの長として仕事の命も受け、会社の利益や売上に貢献すべく戦略を考え続けた。そして50代半ばになって、突如海外駐在デビューをすることになった。新入社員で聞いた世界一となるという命題は、サラリーマン生活の最後で私の「卒業テーマ」にもなった。そして8年間の海外生活を終えて帰任し、国内子会社で3年間障害者雇用の仕事にたずさわり、私のサラリーマン生活は幕を閉じた。
