遊ぶように仕事をし、仕事をするように遊ぶ

 新入社員として会社に入った私もすこしずつ慣れるにしたがい、自分なりに最も居心地の良い状態を求めるようになった。まず仕事をするならその中に少しは笑いがないと楽しくないなと思うようになった。まわりを見ると暗い顔をしながら仕事をしている人が多かった。どうせ仕事するならもっと楽しんで仕事をすれば良いのになあと感じた。彼らは仕事たるものは神聖なものでにこにこして笑いながらやるものではないと信じていたのだろうか?私はそう思ってはいなかった。当時会社に朝の7時半に出社し、夜の8時頃まで残業していた。当時は36規定のような残業規定もいい加減で、遅くまで残っているやつが真面目で会社への貢献度が高いと思われていた。したがって一日の半分以上を仕事に取られていたので、どうせそんなに長く拘束?されるなら楽しんで仕事をしたいものだと思うようになった。疲れてくる夕方になると、アイデアが豊富な面白い奴の机へ行って突拍子もない思いつきについて議論するようにした。(当時ホンダでもワイガヤ会議と言っていたようだが)こうした中から時折良い発想も生まれたし、仕事にはこういうフリーな時間が大事だと思った。一方私は遊ぶことにも一家言を持っていた。同じ遊ぶなら遊ぶための目的と結果がないとむなしいというものだった。遊びをより楽しくするには、目指す結果を出すための努力が必要だと思った。そしてうまくいかない時はその理由を考えて対策を打つのが大事だと思った。(私の趣味は音楽演奏とバス釣りだが、どちらも結果を出せないとやる気が薄れる)こんな事から、皆には「遊ぶように仕事をし、仕事をするように遊ぼう」と叫んでいた。

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