バンド変遷
色々なバンドの経験をした。最初は高校の文化祭にフォークソングバンドで出た。当時京都で流行っていた高石友也とナタ-シャ7のコピ-バンドだった。次は楽器屋で知り合った社会人のバンドに入った。最初はダンスパーティ-音楽を演奏した。そのうちにそのバンドにジャズ演奏の経験者がやってきて即興演奏というものを知ることとなった。その後私は京都を離れるが、就職先でバンドを組むことになる。最初は寄せ集めのメンバ-で歌謡曲を中心に演奏するバンドから始めた。このバンドは1年で解散したが、その後会社が台風で被災して社員が亡くなるという悲しい経験をした際に、当時若者のリーダ-をしていた私は「皆が元気になるバンド」をイメ-ジして3名の女子社員をフロントボーカルにした派手なバンドを編成した。このバンドは社内だけでなく、会社周辺の社会人メンバ-の集会でも演奏し結構評判を得た。この頃に私は学生時代からの夢であったギブソンレスポ-ルスタンダ-ドを購入した。そのうちにフロントに立っていた女性が次々と結婚退社し、私の会社でのバンド活動は停止した。しかしまだ私には音楽の神様がついていたようで、自治会夏祭りのカレ-事件で町内会バンドを結成する事になる。このバンドでは夏は町内の夏祭りなどで歌謡曲を、また年中通じてジャズを演奏した。このバンドは40代後半まで続けたが、会社の仕事が忙しくなり半分解散状態になる。その後私は海外赴任となるが、ここでも現地メンバ-とバンドを組む事になった。結局2ケタ近い異なるバンドを渡り歩いてきた。音楽はいつも私の横にいた。
