学生時代と京都を取り巻く環境
生まれて25年間京都にいた。京都人はなかなか本音を見せず、京都は外から来た人にとって住みにくい街だという。私の意見だけかもしれないが、京都人はプライドが強いのではと思う。また京都は観光地であると同時に学生街であり、外国人や地方から来た人がごちゃ混ぜに住みながら独自の文化を作ってきた。特に70年代~80年代に学生たちが音楽に目覚め、多くのバンドが新しい音楽ムーブメントを起こしていく。私はこういう変化を目の当たりにしながら、特に京都を出るまでのラスト6,7年音楽文化に触れることになったが、これが後々の自分の人生に大きな影響を与えている。
京都は学生街であるが故に、毛色の違う人種たちによる独自の活動が展開されてきた。学生運動は80年代前半にはすでに下火にはなっていたが、独特の節回しでしゃべるアジテ-ションがまだ大学の構内などで聞かれた。また大学入試に失敗して1年間予備校に通っていたが、御所を当時はやりのマディソンスクエアガ-デンのバッグを持って歩いていたら、爆弾過激派と間違われバッグを開けるよう警察官から尋問を受けたこともあった。また後々世間を騒がせる政治集団と身近で会うこともあった。統一教会の前身?である原理研という政治集団が存在した。私がバスを待っていると、原理研とおぼしきメンバ-から声をかけられた。どうも男には美人系の女性が近づいてくるようで、「お時間があれば少しお茶でも飲んで宗教の話を聞いていただけませんか?」と誘うのが手口だった。またこの時期多くの大学生がオーム真理教に出家しているが、それらしい人に声をかけられたこともあった。思えば危険と間一髪の時期だった。
