2022年6月

海外駐在編
食い物はやっぱり日本食

 当初マレーシアに行った時からマレーシアを離れるまで駐在員との懇親会は必ずといっていいほど日本食レストランで行われた。東南アジアへ行ったら、その現地の味を食べたいということになるかもしれないが、正直な所駐在員は日本食レス […]

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海外駐在編
タクシードライバーとの戦い

 マレーシア工場の駐在員にとって、タクシードライバーとの交渉は戦いだった。日本ではどのタクシーに乗っても同じ地域なら料金は決められており、よほど特別なルートでも通らない限り同じような料金を払うことになる。ところがマレーシ […]

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海外駐在編
Iさんの努力

 マレーシア工場設立時から発展期にかけて大変な貢献をしたIさんという人がいた。この人は人事部員としてマレーシア工場の設立に携わり、事務関係の部長として1回目の海外赴任をし、マレーシア工場のトップとして2回目の赴任をし、最 […]

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海外駐在編
マレーシア人はドライ、だけど浪花節も通じる?

 同じアジア人でも違う民族ルーツを持つマレーシア人とは文化的に相容れないものがある。マレーシアで事業を開始した頃はどうやってうまく現地人とやっていけばと思ったものだった。特に社員の定着問題では、マレーシアはまだまだ発展し […]

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仕事-国内編
技術開発について

 一応学校では理系を卒業し技術者枠で採用されたので技術開発について聞かれるが、正直な所技術開発についての明確な認識がない。入社した当時は担当するビジネスの規模は非常に小さかったので、幼稚な設備を少しずつ改良してより大規模 […]

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仕事-国内編
皆からそっぽを向かれたリーダー

 ある時期会社の命令で若者のリーダーを命ぜられた。職場を少しでも楽しくして皆が辞めないようにしようとするプロジェクトだった。このプロジェクトは工場トップが中間の組織長を飛び越え直接若者グループと話をする形になっていた。若 […]

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仕事-国内編
禁煙に変わっていった現場

 1980年代に会社に入社した頃、たばこはどこでも吸えた。さすがに食堂は吸えなかったが、大勢の人が集まる大会議場や事務所でも皆は平気でたばこを吸っていた。また現在では禁煙を推進する欧米諸国でも同じような風景であった。昔の […]

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仕事-国内編
たばこがどこでも吸えた工場現場

 2021年の4月に日本でも受動喫煙防止法という法案が可決され、喫煙者と非喫煙者が混在する公の場で喫煙することが禁止となった。工場で働く喫煙者にとっては長時間の禁煙を余儀なくされ大変な苦痛となることが予想される。しかし私 […]

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バンド活動と音楽
シカゴのブルースバーの思い出

 アメリカでの初の音楽の体験は素晴らしいものだったが、中でもシカゴでのブルースバーの思い出は特別なものだった。運転手がシカゴのブルースを聴きに行きたい者はいるか?と聞いた。私を含めわずか3人しか希望者がいなかったが、私は […]

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バンド活動と音楽
20代で初のアメリカ一人旅

 21才の時にアメリカへ一人旅した。当時はグーグルマップもなく、外国旅行は旅行会社に頼むしかなかった。お金がなかったので安い旅を探していたら、日通旅行(今はない?)で「各国外人のためのキャンプで回るアメリカ旅行」というの […]

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