水害の経験3
それからは必死の復旧作業が始まった。製品を加工する精密機械には奥の奥まで泥が詰まっており、結局すべてばらして掃除しないとまともに動く状態ではなかった。また床はいくら排水しても泥水が湧いてきた。多くの動力機器が漏電によって復帰不可能な状況になっていた。また工場の機械を冷却するファンや冷却器には泥が混じった水が循環しており、何度フィルターを洗浄してもなかなか汚れが減ることがなかった。夜半に発生した水害だったが、会社のトップは数時間後には工場へ駆けつけ指揮を取っていたのが印象的だった。私が担当していた作業工程も停電の17時間後には復電し、何とか生産再開への目途が立った。結局家へ帰ったのは翌日の夜9時頃となった。車はなく同僚で水害を逃れた人が送ってくれた。それから約1週間ほど経ち生産はほぼ復調した。この間他工場から多くの応援メンバーが駆けつけ、機械の掃除や点検、物資の補充並びに故障した機械の入れ替えや修理を行ってくれた。夜間に工場が完全停電した時、多くの人が「1ヶ月は動かんでえ」と言っていたことからすると信じられないような復帰であり、会社の底力を感じた。
この事故はダムが急激に放水した事による堤防破損であり、人災ではないのかという議論もされたが、結局国の見解は天災でありダムの放水方法にも問題はないとの結論となった。市町村からは一律2万円のお涙金が渡された。また会社から命ぜられて出社した社員の車が流されたことについても天災なのでやむなしとの見解であったが、会社は社長自らが20万円程度のお金を見舞金として手渡ししてくれたのがせめてもの救いだった。
