水害の経験4

 こうして会社も個人も大変な被害を与えた水害から立ち直ろうとしていたが、さらに2次災害とも言うべき問題が次々と発生することとなった。現在とはやや違うが、当時自家用車というは若者の憧れであった。特に大型でぜいたくな装備の車に乗ることは若者のステータスで、当時のトヨタのクラウンやマーク2などの大型車は人気の的であった。現場で働く者たちの中にもこうした高級車を長期の借金をして購入している者がいた。そうした夢が一夜の水害で消えてしまった若者がどれほど落胆したかは想像に難くない。彼らの言い分は、少なくとも会社から仕事に来るよう言われてきて、その勤務内に車を失ったことに対して会社は補償すべきではないのかという点だった。正直私自身も当時は管理職でなく、同様に車を失った立場上一緒になって文句を言いたかったが、一応会社側リーダーであったことから彼らをなだめないといけない状況にあった。しばらくの間現場は荒れに荒れ、現場へ皆を励ましに行くのも怖いような感じさえあった。
 こうして若者の多くが車を失って茫然自失となっていたが、私の部署にいた19才の若者が同様に車を流され、やけになって友だちのバイクを借り無免許で暴走し転倒して路肩に頭を打ち亡くなるというむごい事故が起こった。勿論本人の自爆であり、問題は本人にあったものの、国の責任や会社の責任という解釈によっては明確にしにくい問題の中での悲しい事故であった。仮葬式が会社の近くで行われたが、誰一人言葉が出ないような葬式だった。こうして1990年の水害は私の心に強く残るつらい思い出を残した。

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