禁煙に変わっていった現場
1980年代に会社に入社した頃、たばこはどこでも吸えた。さすがに食堂は吸えなかったが、大勢の人が集まる大会議場や事務所でも皆は平気でたばこを吸っていた。また現在では禁煙を推進する欧米諸国でも同じような風景であった。昔の米国の映画ではたばこをふかしながら人としゃべるのは当たり前であり、酒場はもうもうとした煙で充満していた。日本の工場の製造現場も火災の危険がある場所を除いてどこでも自由にたばこが吸えた。
私が46才の時であった。当時私は製造現場の統括責任者の立場にあった。受動喫煙の問題が世間で言われるようになっていた中で、私は工場長から現場の分煙化の指示を受けた。分煙は大勢の作業者より文句が出るのはわかっていた。工場長は自分が言うより、喫煙者でかつ作業現場を統括する私が言えば皆も仕方なく納得するだろうと考えたようだ。指示された内容は工場内に数ヶ所の喫煙場を設ける、作業者はその指定された場所だけで喫煙する、守らなければ処罰の対象とする、というものだった。喫煙者にとってニコチン不足になるとすぐ近くでたばこを吸えないのは拷問のようなもので、どうやって彼らを納得させるかを随分悩んだ。そして私が選んだ方法は、ヘビースモーカーの私自身が身をもって禁煙することで、皆にこの指示を守らせるというものだった。ちょうど入社20年表彰で家族旅行に行くことになっていた。この会社に行かないストレスフリーの3日間に禁煙することに成功した。旅行から帰ってきた私は「私はこのメールをもって禁煙するので皆も分煙を守ってほしい」と150名の部下へ社内メールを出した。現場から文句は出なかった。
