Iさんの努力
マレーシア工場設立時から発展期にかけて大変な貢献をしたIさんという人がいた。この人は人事部員としてマレーシア工場の設立に携わり、事務関係の部長として1回目の海外赴任をし、マレーシア工場のトップとして2回目の赴任をし、最後は私がマレーシア工場トップの時代に会長として本社の立場で大所高所から指導をいただいた。現地のフロンティアメンバーからは厚い信頼を得ていたし、工場内で働く下請け関係の業者とも深くつながっており、また官庁の要人ともネットワークを持っており、まさにマレーシア工場のドンと言っても差し支えないような人だった。この人から設立時の苦労を色々聞いた。創業して一番困ったのは人員問題だったそうだ。大学卒の幹部候補生は、小さい頃からあまり無理してがんばるなと言われてきており、根性を出せと言ってもなかなか簡単には変わらず、まずがんばる事の意味を一から説明しながらリーダーシップの基本を教えたそうだ。また首都のある西マレーシア側のメンバーは全般的にきつい仕事をしたがらない傾向があり、あまりすれていない?人材を採用するためには東マレーシア(ボルネオ島)へ行って一人一人と直接交渉もしたそうだ。実はこの地域は少し前まで首狩り族が支配しており、まだ一部では首狩りの習慣があったとか?なかったとか?で現地へ行く際は心配したそうだ。また他社からの社員の引き抜きを抑えるために、思い切って工場近くに大きな社員寮?を建てるという当時としては画期的な施策を打ったこともあったそうだ。結果マレーシアは労使関係に恵まれ、海外旗艦工場として十分な成果を上げることになった。
