京都を離れる、京都最後の演奏
就職が決まり京都を離れることになった。京都は生まれ育った街であり、また音楽など私が大好きなものにいつでも触れることができる所だったので少し淋しくもあった。しかし京都は私がイメージする「働く」場所ではなく、いずれは離れないといけないと考えていた。ただ名残惜しかったのはバンド活動だった。勿論仕事の休みの日に時間をかけて京都まで行き練習をしてからなかやぶへ帰るという選択肢もあった。しかし私は二兎を追うのが苦手で、まずやり始めた仕事に集中したいという思いが強かった。したがって就職を境に、一旦バンド活動から縁を切るという決心をした。しかしこれでバンド活動を止めるのであれば、最後ぐらいは気が済むような演奏をしたいと思っていたところ、京都の深草で演奏をするという話をメンバーが持ってきた。確か昼間は喫茶店で夜はラウンジのような場所だったように記憶しているが名前は忘れてしまった。室内にはジャズミュージシャンの写真が飾られていた。
その時の演奏は乗りに乗った。中学生で音楽を始めて初めてフォークソングの曲を演奏した事、そして大学生でブルースを聴いてバンドに興味を持ち、その後社会人の人たちと出会い種々の音楽を教えてもらい、そしてジャズが曲りなりに演奏できるようになったなど思いはぐるぐると頭の中をめぐった。いわゆる即興演奏であるアドリブも何の緊張もなくスムーズにやれた。気持ちに素直に演奏できるとはこういうことだと思えた。そして演奏が終わり、恒例の打ち上げで気持ちよく飲んだ。その時は音楽など所詮学生時代のお遊びでもう関わることもなくなるだろうという思いで一杯だった。
