人のスカウト
2000年代に入りBRICSと呼ばれる新興国で急激な工業化が進むようになり、私の担当するビジネスにもフォローの風が吹き始めた。今まで工業が進んでいなかった国が一気に工業を促進するので、それに伴い機械、素材、物流、製造技術等々のあらゆる付帯の仕事が新興国に向けて導入されるようになってきた。これまで私のビジネス部門では身の丈に合わせ商売の範囲も日本国内に絞っていたが、このようにマーケットが急激な拡大を求めている時にそれに呼応して規模拡大をしなければ将来はないという結論になった。しかし今まで20年以上同じような規模での仕事しかしておらず、規模拡大に対する経営上のインフラが全くできていなかった。ただ1990年代半ばからの技術改善で経営状況は良くなり始めており、この規模拡大は会社の業績に寄与することはできるという判断が背中を押した。経営資源の人・物・金のうち物と金はトップより投資としてつぎ込むことが上位判断として承認された。しかし人については一からだった。幸いにマレーシアで一世を風靡した会社の屋台骨の電子部品が新たな技術革新に伴いフェードアウトする寸前だった。この部門ではすでに他の事業へ人の移動が起こっていたが、それでもまだまだ優秀なメンバーが内部に残っていた。タイミングよく私はこの部門のインフラを受け継いでマレーシアで自分の担当業務の規模拡大のチャンスを得ていた。併せて人的資源についてもその部門長にお願いして片っ端から声をかけて私のビジネス部門に移籍してもらった。こうして急激な事業拡大に対して当座の人的問題も乗り越えることができた。綱渡りのようだった。
