シカゴで見たブルースのルーツ
ブルースという音楽はアメリカ大陸の南部のミシシッピ州で生まれ、その後ミシシッピ川を北へ進んで最後イリノイ州のシカゴへ伝わっていくという話をG楽器店の同僚Iさんから聞いていたが、実際そのルーツを示す看板をシカゴで見つけた。この看板から大体の雰囲気を訳してみる。「第2次世界大戦以降、ミシシッピ州よりイリノイ州に向かって、大量のアフリカ系アメリカ人が夢を求めて北へ“大移動”してきた。中でもテキサスやルイジアナなど他の南部地域と比べても、ミシシッピ州からの移民が多かったようだ。そしてこれらの移民と一緒に、南部のデルタブルースがやってきた。これがその後の典型的なシカゴブルースの基本になって発展していく。後にシカゴブルースの王と呼ばれたマディー・ウォーターズもイリノイセントラル鉄道のセントラル駅に降りた多くのミシシッピ州からの移民の中にいた。セントラル駅はこの看板から通りを渡った方向にある」というような内容だった。当時のミシシッピ州の黒人たちの生活は大変過酷で貧乏だったようだ。いわゆる綿花の栽培と収穫を行うOld Black Joeの時代だ。第2次世界大戦後米国は繫栄し、特に大都市であるシカゴに人が集まった。そして貧乏から這い上がろうと多くの黒人たちは都会であるシカゴを目指したのも十分納得できる。実際この看板は広場の片隅に立てられていたが、回りには大きな寝袋を持った決して裕福ではなさそうな人たちが多く見られた。そしてこの地区から徒歩で10分ほど歩いた所にシカゴブルースの第一人者であるバディーガイのバーがあった。夕方に行ったがそれでもこの駅近くはやや物騒な地区だった。
