学校の先輩2~豊田勇造さん
近畿放送のラジオ番組の公開収録で豊田勇造というシンガーを見た。この人はその当時の呼び方でいえばフォークシンガーの部類に属していたようだが、彼の「高野グランドマンションのブルース」という曲にしびれてしまった。当時ブルースという音楽を覚えたての私にとっては天啓が下りてきたような気分であった。そしてその後彼のレコードを買ったりして、より彼の音楽が好きになっていった。そしてある時彼が私の通っていた高校の先輩であることを知った。早速学校の卒業者名簿を調べてみるとその名前があった。私が通っていた学校は京都の中ではどちらかというと進学校にあたるような学校だったが、彼は大学生の頃から弾き語りの世界で有名になりそのままその世界へ入ってしまった変わり者だった。彼の人を引き付けるしゃべり方は私にはすごくかっこよく見えた。色々彼の事を調べていくと、彼は京都というか日本で初めてのライブハウスである「拾得」という店の立ち上げに参加していたようだ。この店は高校の頃から私も何度もプロの演奏を聴きに行った場所だったし、また高校生の時に初めて友人に誘われてタバコを吸ってくらくらとなった懐かしい場所でもある。彼はその後ジャマイカ音楽などにも傾注し世界を放浪してようだが、近年では60才で「60曲コンサート」を、また70才で「70曲コンサート」を計画するなど、老いて益々がんばっておられるようだ。高校時代一緒に音楽をやった人でその後音楽関係者になったという人を聞いたことがないが、既述の北山修さんと併せて数少ないミュージシャンとして成功された先輩がここにいた。
