精神障害者の悲しみを聞いた
障害者というと、障害者雇用活動が行政で始まった頃は身体障害者の事を指していた。これは1970年代後半にはまだ日本には戦争で怪我をした傷痍軍人が多くおり、こうした人に何とか働くチャンスを与えなければならないという発想からだった。しかしそのうち身体的な障害者以上に、知的障害者が増えてきて私の会社でも中心は彼らだった。しかし最近の傾向としてなかなか表に出ないが、精神的に病んだ障害者が急増している。事実我々の会社でも採用が増えてきていた。精神障害者の気の毒な点は、昔は「精神障害者は働くことならじ」だった点だ。いわゆる差別用語を敢えて使えば「〇ちがい」と呼ばれていた分類に入ると考えられる場合もあるからだ。我々の会社に来る精神障害者の人たちは大人になってから自分の病気に気づいた人たちがほとんどだった。彼らは健常者とほとんど変わらない知力や体力を持ち普通に暮らしていたが、ある時からどうしても他人と比べて自分が劣ることを感じて悩む。そして悩みぬいた末にお医者さんのところへ行って、初めて自分が精神障害者であることにたどり着く。思春期に他人と同じにならないもどかしさを感じながら過ごしてきた理由を、心の障害と言う形で告げられる。私と面談をした精神障害者の人からこの時の悲しさ、くやしさを一杯聞かされた。彼らは「自分が病気だから一般人と同じことができない」ことに気がつき、最後「そんな病気と付き合って行こう」と自分を納得させるまで心の葛藤と戦ったとのことだった。
