Ichiban project
米国人には5名の駐在員が何をするでもなく米国で自分たちのやっていることを聞くばかりに見えていた。一体日本人は何のために来たのか、自分たちの会社を買って一体どのように変えていこうとしているのか、こうした事が日本人と米国人の間でもやもやしていた。一方新会社は不安定でいつ何時辞めて他社へ移ろうとする米国人がいるかもしれないという心配から安易に日本の新技術を共有して新たなものづくりを開始しようという決定はなかなか日本本社から下りなかった。しかしそうは言っても、現地では何かものづくりを通じて一体感を感じるようなことをしないといけないと現地代表者である私は考えていた。そして現地へ提案したのは、「Ichiban project」というものであった。これはグローバルでものづくりを行う限り「世界一の技術と世界一の品質を目指す」のはメーカーとしては当たり前だった。しかし私の見る限りこの会社はかつての輝きを失い、皆がこうしたグローバル競争をする会社なら当たり前の事を忘れてしまっているように思えた。そしてその事をずばり幹部の前で話して、「かつてのように一番になるためにもう一度皆でがんばろう。そのためには日本で開発した新たな技術も盛り込んでいこう」という主旨の話をした。こういう総論ですじを通した話には米国人は反論しなかった。そこでプロジェクト名も「Ichiban=一番」として共有感を感じられるようにした。(Ichibanという名称はローカルの寿司店で使われており、比較的すんなりと現地メンバーには受け入れられた)そしてこのプロジェクトは私が主導し、必ず毎月成果のレビューを行うこととした。
