昔のメンバーとの再会3

 米国の会社を買収してSという片田舎の工場事務所で仕事をしていると守衛から電話がかかってきた。「B.Bさんという方から電話がかかっています。あなたにお会いしたいと言っています。あなたを知っているとも言っておられますが?」というものだった。B.Bの名前は記憶にあった。1980年代米国に技術援助契約である技術を供与した際に、技術交換の一環で日本にやってきた2m近い大男だった。当時彼の英語はわかりにくかったが、「俺の英語は南部なまりだ」と言っていたのを思い出した。まさに私はそれから30余年の時を越えて今米国の南部に住んでいる。近くにいるので一度会いたいとのことだったので、その日の午後から会うことになった。B.Bと会う前に現地社長に確認すると、我々が撤退する事業に使用していた設備を安く買い取りたいという申し出をしているとの事だった。久しぶりに会った彼はだいぶん老けていた。1980年代に会った時にすでに40代半ばだったと思うので、再会した時はもう80才を越えていたかもしれない。一緒に彼の息子が来ていた。息子が社長で要らなくなった設備の売却について我々の意向を聞きたがった。私は話を濁すことを事前に現地社長に伝えており、「不要設備の処分については日本本社は特に希望はない。基本現地メンバーに任せている」とB.B親子に伝えた。思えば1980年代にB.Bに初めて出会った時、「俺が以前に勤めていた会社はNo.1だ」とさんざん自慢していたのを思い出す。それから30余年経って我々はその会社を買収した。そして私は「No.1」だった会社の力を借りて米国ビジネスを変えようとしていた。それから少ししてB.Bが亡くなったと聞いた。

1980年代のB.B(中央、日本の工場事務所で)

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