OB会の便り
現役の頃OBの方の訃報を聞くことがあった。それも十分長生きされたならまだしも、定年してわずか数年で亡くなった二人の訃報を聞いた。その方たちは現役時代大変はつらつとして仕事をされており、どちらかと言うと親分肌の人たちだったので、早死にするなど考えもしなかった。一人は大型工事の現場監督で、海千山千の工事業者を強面の顔と大きな声で半ば脅し?ながら統率されておられた。この人がいれば、ほとんどの工事のトラブルも丸く収めてもらうことができた。我々工場の人間にとっては無くてはならない人だった。ところが定年後この方は会社にいた頃とは全く違う生活をしておられた。特に外へ出ることもなく、一日のほとんどを家にこもっておられた。そして夜になると1時間ほど散歩をするのが日課であった。定年されてしばらくしてから、現役時代のお礼をこめて一席設けたが、「今は散歩だけが仕事だよ」と言って家でおとなしくしておられたようだ。現役時代はあれほど大声で多くの人を従えて統率されていた人だが、人としゃべらないような生活ですっかりおとなしくなってしまわれたと思っていたら訃報を聞いた。もう一人の方も、工場で私の関係する製造現場でリーダーをやっておられた。その大きい声で怒鳴られると誰もが委縮するような人だった。定年後はあまり外へ出られずおとなしくされていたようだが、定年後2年ほどして訃報が届いた。お二人に共通するのは、現役時代に親方として思い切った仕事ができていたのが仕事を離れて自分の存在感を示す方法が見つからなかったことだ。自分の価値・存在感を失い、心と体に異変が起こってしまったのかもしれない。

1980年代の社員旅行にて