英語について1

 私は縁あって中学~高校は京都の私学に通っていた。この学校はいわゆるキリスト教系の学校で、神父と修道女はカナダの教会から派遣された人で成り立っていた。通常の授業は必ずしもキリスト教との関わりのない日本人教師が行っていたが、英語だけはこのいわゆる「外人」である神父さんや修道女が行っていた。したがって学校に入ってすぐに外人の発音がどんなものかをすぐに理解するようになった。また中学に入って少しすると、西洋音楽にかぶれるようになるが、西洋音楽特にロックなどは歌詞を英語で歌わないとうまく聞こえないということもあり、ありきたりな発音でなく外人的な英語発音でしゃべるのがかっこいいと思うようになった。クラスには「俺は日本人だから日本人的英語でも構わん」と思う生徒が半数ぐらいいた。(おそらく今の普通の中高生の英語教育はこうしたレベルの生徒が大半なのだろう)一方外人の美しい英語の発音を聞いて、私のように「多少なりとも外人のように英語をしゃべりたい」という生徒も半数ぐらいいた。彼らの中にはESSに所属する生徒もいたが、彼らの発音はほとんどネイティブの発音と変わらない発音で、私も密かに彼らみたいになれたらなあと思っていた。こんな背景から英語がうまくなって、将来外国人、日本人関係なしに関わるような場に身を置きたいという思いを何となく持っていた。こうした思いが大学へ行ってからアメリカを見に行きたいという行動につながったのだろうし、さらに会社へ入ってからできることならグローバルな仕事に手を染めて、いずれは海外で仕事をしたいという夢を持つようになったと思う。

子供の頃から欧米人に抵抗がなかった

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