外国人執行役員誕生
私のいた会社は電気電子機器メーカーの海外展開に伴い1980年代後半から世界各国に海外拠点を設立してきた。しかし海外拠点はすべて日本本社の支配下に置かれており、日本人以外の取締役や執行役員がビジネスリーダーとなることはなかった。理由の一つはその海外拠点の技術や販売ルートはすべて日本独自で開発されたもので、日本人以外がそのビジネス手法について理解をするのは難しいという点があった。また当時の日本のほとんどの会社と同様、英語での議論について日本とトップが十分堪能でなかったという点も挙げられる。しかし2010年代の後半に私の担当していたビジネスにおいて、会社は米国ベースの会社のM&Aを行った。この事により、ものづくりの面でも販売の手法についても全く異なる会社同士が一つになることになった。私は結果的にこのど真ん中で仕事を始めたわけだが、英語によるビジネスの困難さという基本的な問題以上に、異なる企業文化を持つ日米2つの会社の間に入ってどのように円滑にビジネスを進めていくかに大苦戦を強いられた。そんな中、最初に買収した欧州地区のトップであるE氏には非常に助けられた。欧州人は元々米国人トップに以前働いていた会社を買収されたという過去を持ち、同国人ではない人の経営ということにある意味慣れていた。そして少しでも日本人の事を理解しようという努力をしていたが、その中にあってE氏は自分が理解できない日本人の指示や判断についてことある毎に私に聞いてきた。そして欧州を離れる頃には私とは大変良い関係になっていた。その彼が先般執行役員を拝命したことを新聞で見た。彼ならと納得できた。

欧州時代良き相談相手だったE氏が初の外人執行役員に就任