キリスト教系学校の経験から海外への憧れ
中学から高校の6年間をキリスト教系の学校で過ごした。今は珍しくないのかもしれないが、当時この学校には教会のおつとめをする神父さんや修道女の方がおられ、その人たちが英語教育の担当をしておられた。彼らは十分日本語がしゃべれるが、敢えて授業中はすべて英語で通しておられた。入学時に英語の授業は英語のみで行うと聞いて少しびびっていたが、受けてみると意外に英語授業を英語で受けるのはそれほど大変ではなく、ネイティブの英語を楽しんで聞けることがわかった。と言うよりもさすがネイティブの発音は我々の発音と違いかっこいいと思って聞いていた。私が中学、高校時代の1970年代は海外文化と言えば米国文化であり、種々のルートで英語が日本人社会にも入って来た。またアメリカから入って来たカントリー、ブルース、ロックンロールなどの音楽は日本の夜間ラジオ番組を席巻していたし、ジーンズやTシャツなど米国ファッションがブームとなっていた。高校生頃から始めたバンドでは英語の曲をかっこよく歌うことが要求される中で、ネイティブに近い英語の発音はうまい楽器演奏と並んで重要なポイントの一つだった。そんなことから、英語の授業ではそれらしい?発音でしゃべることを意識した。そしていずれの日にか外国へ行き何か自己表現をしたいと思っていたし、チャンスがあれば外国に長期で住むような環境に身を置きたいとも思っていた。実際にこの夢は40~50年後に叶うことになったが、外国に来てみて思ったのは、明らかに良い発音で相手に話しかけた方が相手の食いつきが違うのを肌で感じ、子供の頃から発音を意識していて良かったと思った。

キリスト教系の中学校ではネイティブの修道士が英語を教えた