早死にした日本のブルースマン

 ブルースマンは私の学生時代の憧れだった。海外生活を8年して帰ってきたら何人かのブルースマンが若くして亡くなったことを知った。日本のブルースが全盛期を過ぎてマイナーな音楽に変わっていった頃の2000年代から2010年代にかけて私自身は音楽どころではなく、サラリーマンとして死ぬほど忙しい毎日を過ごしていた。そして音楽に関わる情報はどこかに飛んでしまい、毎日ビジネスに集中していた。その後2011年からは8年間外国で暮らす生活を送るようになり、日本の情報から離れていた。特に3人のミュージシャンの死を残念に思う。一人は塩次伸二さんというウエストロードブルースバンドのリードギターを弾いていた人だ。本人も和製ブルースバンドを立ち上げた一員としての自負もあっただろう。亡くなる最後まで自分の演奏スタイルを変えず、粘り気のあるブルースギターを弾き続けた。その次は石田長生という人だ。この人は大阪の八尾市に生まれ、こてこての大阪人気質を持っていた。あのギターの天才Charと「馬保」(バホ)というアコースティックバンドを組んでいた人だ。ちなみにバホの意味は関東の人が「馬鹿じゃない」と言うのと、関西の人が「阿保か」と言うのを組み合わせた合成語?で、関東のCharと関西の石田が独特の絡み合いをする面白いバンドだった。そして最後は桑名正博さんで、かつて「セクシャルバイオレットNo.1」でメジャーデビューし、女性人気歌手のアン・ルイスとも結婚した男前のミュージシャンだ。彼の音楽も原点は大阪のブルースから始まっていた。皆60代で亡くなったが、私も60代後半にさしかかろうとしている。

1980年代の日本のブルースを牽引した塩次伸二さん。2008年没する。

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