ドビュッシー、チックコリア、ピンクフロイドに共通の感じ

 私は学生時代のフォークソングから始まって、どんどんブルースやジャズといった黒人音楽にはまっていった。一方こうした音楽とは全く違うタイプの音楽を聴きたいと思う時があった。例えばクラシックのドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」はたまらなく好きだった。これは多分北杜夫の小説で読んだ何とも言えない幽玄?な雰囲気とこの曲がよくマッチしていたからだと思う。ジャズやブルースはテーマがあり、テーマのコード進行に合わせて即興演奏が繰り返されるが、ドビュッシーのこの幽玄な音楽は一体どのような展開が起こるのか予想もできないような不思議な構成を持っているように感じた(実際は多分普通に起承転結があるのだろうが、初めて聞いた時はそうは思えなかった)また同じような感覚になれたロックバンドの曲として、ピンクフロイドの「原子心母」があった。何か嵐の中で自分が揺り動かされるような気持になったのを覚えている。この曲も起承転結があるのかないのかわからないままにどんどんのめりこんでいった。このタイプのロックは当時プログレシブロックと呼ばれており、随分進んだ音楽だったものと思う。そしてジャズではチックコリアの「Return to forever」が出た時に同様の驚きを感じた。元々私の中で持っていたチックコリアのイメージはピアノの生音でどんどん皆の心の中に入っていく音楽家というイメージが強かった。ところがこのアルバムは電子ピアノが中心でチックコリアは一体どこへ行ってしまったのかと思うほどだった。そういう点でマイルス・デイビスバンドでピアノを弾いていたビル・エバンスも似た感じかもしれない。

「幽玄」な音楽はクラシック、ジャズ、ロック何にでもある

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA