決定権は自分にある老後
若い頃は物事の決定をするにも色々な条件を配慮しながら決定しなければならなかった。例えば仕事上で腹を立ててこんな会社なんか辞めてやるぞと思っても、明日から家族のためにどうやって稼ぐのか考えないといけなかったし、嫌な上司と口をききたくもないと思っても円滑に仕事がいくように嫌々でも上司とはうまくやっていく事を考えなければならなかった。またもらった給料はまずは全額奥さんに渡して、自分の小遣いは奥さんの采配に委ねるようにしていた。すべては自分の好き嫌いで決めるのではなく、自分を取り巻く生きていく上で必要な環境を維持できるかどうかを最優先にして決めてきた。それは自分を欺いているような所もあり、自分に忠実でないとも思ったが、歌の歌詞じゃないけれど「自分一人の身ではない」がゆえに仕方がないと割り切っていた。勿論自分が思うことを自由にやれなかったという忸怩たる思いもあったが、一方では自我を抑えることで結果として小さな成功を得ることができた。またこういうことが我慢であり、将来の成功につながると信じていた。しかしこうした自我を抑える考えは定年退職を機に完全になくなった。現在の決定権はあくまで自分にあり、「自分が楽しいために、自分が我慢しないために」どう生きるかを最重要視することにした。アルバイトで得た給料は全額自分の為に使い、一切家族や将来に残すことはしないでおこうと思っている。職場での人間関係もほどほどに愛想はするにしても、気を遣いすぎて悩むような関係が発生したらすぐさま辞めようと考えている。結果一つでもやり残したことが無くなるようにしていければと思っている。

若い頃は「自分で決めている」とは言い難かった