ようやく人の顔色を見ない生き方ができる

 子供の頃から人の顔色を見て生きてきた。これは多かれ少なかれ皆が行っていると思う。ともかく生まれてから、自分の模範となる先生や親から言われるのは「あなたは〇〇さんのようになりなさい」とか「良い成績を取りなさい」とか「立派な人になりなさい」という指針だ。この指針は素直であればあるほど、大事なことだと思ってしまう。子供の頃自分が素晴らしいかどうかを決めるものは、学校の成績でありほめられることである。親や先生だけが評価してくれる。したがって親や先生が喜んでくれることはとても大事なことであり、ついつい親や先生の目を気にしてしまう。ところがある時期からこの生き方が間違っていることに気づく。ある年齢になると自我が目覚め、人間は「自分がしたいこと、成すべきこと」などを見つけ出すようになる。今までは誰かがほめてくれることをやっていれば良かったが、この頃からどうも人がほめてくれることをやっていても「自分がしたいこと」を達成できるわけではないことに気づく。そして長い間悶絶しながら自分が見つけた新しい道に向かって生きていく。こうなると人の目など気にするよりも、一刻も早く自分が行くべき所へ行くための手法を見つけることが重要になる。しかしかくいう私もそういう心境に至るには大変時間がかかった。何故ならどんな時も自分の回りには、親や先生に類するような人がいて、ついそういう人たちにほめられたいと思うからである。本当はほめられることより自分が目指すことにまっしぐらに行くべきなのに。人間は弱い動物で誰かに見守られたいという側面があるが、人から見守られていても自我は目覚めないよ。

人の顔色ばかり見て生きてきた

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