大学祭でジャズ喫茶を開いた1
私が20才、大学2回生の時、大学祭でジャズ喫茶を開いた。当時私は毎日朝から晩まで京都のジャズ喫茶に入り浸っていたが、大学祭の応募を見て何故か自分自身でジャズ喫茶を主宰したいと思った。しかしいくら大学祭のなんちゃって喫茶店とは言え、一応人様からお金を頂戴してコーヒー飲ませるので、それなりの準備とインフラが必要になる。場所は抽選で教養部の20畳ぐらいの教室が当たった。まず大学祭の首謀者に対しての喫茶店応募の主旨書を提出してそれに合格する必要があったが、それは一発OKとなった。店の名前は「ミントンハウス」とした。これはジャズギターの創始者とも言われるチャーリー・クリスチャンが演奏した場所の名前だ。まず大学側のサポート内容を確認してから不足部分を草の根運動で埋めていった。大学祭の3日間の喫茶店の安全性を確保するため、講座メンバーたちのサポートをお願いした。クラブ活動をしないメンバーが喜んで支援をしてくれたので助かった。また夜間も何人かが交替で泊まり込みをしてくれた。またジャズ喫茶というぐらいなので、常に音楽が流れていないといけない。これについては私はもとより、当時の京都のバンドメンバーからそこそこの数のレコードやカセットテープを借りてきて教室内で流すことでまかなった。そしてこの喫茶店の目玉である「ジャズライブ」をどうするか考えた。京都のバンドメンバーは大半が社会人で来ても1日ぐらいだったので、楽器店でアルバイトをしているIさんとジョイントでやる以外は、私のソロギターでその場をつなぐという無謀な試みもおこなった。何も考えずやりたい事をした時代だった。

大学祭でジャズ喫茶を主宰し似非ジャズを演奏した