言い訳をする欧米人
米国へ赴任してからは毎日毎日が戦争で会社に行く前には吐き気さえすることがあった。考えてみれば、米国人にとって全く違う企業文化を持った日本人が乗り込んで何かをやろうとするのはささいな事でも我慢ならなかったのではないかと思う。また欧州でも米国でも口には出さないが、どこかアジア人は欧米人よりも劣るという差別意識があったのではないかと思う。こうした事からちょっとした事をお願いするにも理由を聞かされ、それを理解してもらうのに説得することが必要だった。遅々として仕事が進まないのを感じていた。挙句の果てには、「随分多くの日本人(当時6名)がやってきたが、彼らは質問や注文ばかりして全く少しも生産的でない。もしこの会社に研修に来ているなら研修生の扱いにしたらどうか?」などという信じられない侮辱的な発言まで出る始末だった。この事を日本側に伝えても、こちらの事情を十分知らない日本の末端組織からは次々と質問が送られてきた。こうした相互不信を何とか払拭しようと私は「日米技術会議」を提案した。これなら前向きで建設的な提案も出てくると思ったからだ。会議には日本から有識者も呼んだ。ある会議で有識者が米国人の説明者に質問をぶつけた。説明は理屈上おかしい点があった。それでも米国人は面子もあり、自分の意見を曲げようとしなかった。私は日本人に小さな声で「流せ!」と伝えて結論を出さなかった。マレーシアでも経験したが、日本人以外は面子を非常に気にする。大勢の前で恥をかかせてはならないと感じた。その次の会議では何もなかったように米国人はその間違いを訂正していた。大丈夫だと思った。

面子を重んじるのは中国人も欧米人も同じ