大赤字だった時

 私のサラリーマン時代は決して順風満帆ではなく、むしろ赤字続きで苦労の連続だった。私だけが何故こんなに苦しい仕事ばかり担当しないといけないのかと苦情の一つも言いたくなることも多かった。特にリーマンショックの時は本当に酷い状況だった。リーマンショックが始まる数年前に私の担当する事業は大幅な設備投資をマレーシア工場に行なった。ちょうど中国を中心とした新興国の工業化が進み、私の担当する基幹素材も売上の伸びが期待された。そのためマレーシアの遊休土地を順次この増産のための投資に充てていた。そしてその予想は当たり、マレーシアの設備をどんどん増産しても需要に追い付かないような販売増が始まっていた。ところが米国のリーマンブラザーズが倒産するという事態を受けて、世の中の金は全く違う形に回り出した。翌月から物は全く売れなくなり、在庫は港付近の倉庫に山積みされるようになり、ついには運転資金の回収が先決という判断で半数以上の国内外の設備を停止することになった。私の担当する仕事は重厚長大な設備を持ち、大きな固定費を抱えていた。その設備を止めることは莫大な赤字を意味した。設備停止が決まったある日トップのMさんが来られ私に一つ言い残していかれた。「これから巨額の赤字を出すが、トップになったらどんな時も堂々としてなあかん、つらい時ほどトップは明るい顔をしてないと皆が沈む」と。実際25億近い売り上げだった事業は8億ぐらいまで減少し、赤字は4~5億まで膨らんだ。担当ビジネスリーダーとしてトップ会議で私は針のむしろに座らされたが、Mさんの言葉を思い出し努めて前向きな発言を行った。

膨大な赤字を出してもトップは明るくふるまえと言われた

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