30年前のマレーシアの道路事情
私の会社が最初にマレーシアに工場を建設したのは1991年だったので、これを書いている現在からみてすでに30年以上経っていることになる。当時会社の主力となっている電子部品の客先が次々と海外移転する中で、ある会社からマレーシアの自分たちの工場の横で製品の供給をしてくれないかというお願いがあったためだ。会社の中では初めて独力で海外工場を建設することに対して色々な反対もあったそうだ。(中にはトラが出るぞという意見もあったとか)しかし主力製品のメインユーザーからの依頼であり断ることもできず最終的に工場は建設された。当時のマレーシアというのは東南アジアの新興国の工業化では必ず見られるような風景があったそうだ。ジャングルを切り開いて作られた主要道路こそ舗装されていたが側道はほとんど未舗装だった。また側道の赤土の道路はあちらこちらがでこぼこで一旦タイヤがはまると抜け出すことも困難な状況だった。クアラルンプール市内は比較的早くから舗装されていたが、歩道から木が生えてきて部分的に歩道が盛り上がり大変歩きにくい状況が見られた。またマレーシアは年中スコールに見舞われる気候だが、水はけが十分できていなかった昔はスコールが降ると道が冠水してしばらく車が身動きできないような時もあった。また国際空港は昔はクアラルンプール市内に近い所にあったが、夕方のスコールによる冠水で空港までたどり着けないような時もあった。ちょうど国を挙げてプロトンという国産車が開発されていたが、日本では乗らないようなボロボロのプロトンが大手を振って走っていた。

日本の緻密な道路と違いできた時からデコボコのマレーシアの道路