労働災害の加害者になった日2
工場から病院までは約10分程度の時間だったが、その間相方と相方の奥さんと一緒に無言で救急車に乗っていた。その間救急隊員に何か質問されたと思うがほとんど記憶がない。病院に着くとまず脳波やレントゲンが取られた。結果は奇跡的に特に軽い打撲だけで大きな障害はないだろうというものだった。相方の奥さんに「とりあえず良かったですね」と言われて事態が最悪の状態を免れたことだけは理解した。どうやら私が空振りした大ハンマーは、相方のヘルメットと頭の境界あたりをかすめただけのようだった。あと数㎝でも私のハンマーが深く相方の頭に当たっていたら相方は大変なことになっていたであろうと思われる。すぐさま診断結果を会社で待つ上司に伝えないといけないと思ったが、何故かいつもはすぐに出てくる電話番号が出てこない。気が動転したとしかいえない状況が私の中で起こっていた。何とか持っていた会社の手帳で工場の電話番号を確認して状況報告を行った。続いて電話したのは家族にだった。普段私は仕事中は家庭に電話することは禁じていたが、この時ばかりは家内に電話をした。「大変な事をしてしまった。とりあえず命に別状はないようだが、今後何が起こるかわからない」という電話をした。その後相方は10日ほど病院に入り、退院後も数ヶ月自宅で療養をしていた。私はこの間1週間に一度程度は病院や自宅へ行き、事故に対しての不手際を謝るとともに、彼のお見舞いをした。思えば今から30年前ぐらいのことだった。その後相方とは私の最後の任務となった障害者雇用会社で一緒になった。その時点ではもう昔の笑い話になってしまったが当時は本当に肝を冷やした。

気が動転してすべての記憶が飛んでしまった