リーマンショック2
私の担当するビジネスは重厚長大のビジネスで一旦減産すると次に増産するのに、膨大な労力や人・物・金が必要となる。したがって設備がある稼働率以上動いていることを前提として全体のビジネスが成り立つように計算されていた。したがって稼働率30%というのはとんでもない状況だった。ただでさえ利益率の低いビジネスだったものが、このような低い稼働率に陥ることでビジネスは大幅な赤字になり、リーマンショック1年後ぐらいまで私は担当ビジネスリーダーとしてトップ会議では「針のむしろ」に座り続けた。2008年夏に始まったリーマンショックは年末になっても回復の兆しを見せなかった。その間も営業メンバーは客先に足を運び、少しでも多く買ってくれるよう嘆願を続けたが、客先の台所も我々と同様厳しさは変わらずあまり良い返事がもらえなかった。ところが事態は突然変わった。落ちるのも早いが、立ち上がるのも早かった。2009年の3月頃からある客先から至急物を入れて欲しいという話が来た。それからほんの数日以内に営業本部にはあらゆる客先から矢のような催促の電話が来るようになった。しばらく営業メンバーが何とか言い訳をしながら対応していたが、ついには客先の購買トップが工場へ「直談判」で物の納入催促をしに来る事態となった。私はその度に交渉に立ち会ったが、「我々のビジネスは重厚長大で簡単に止めたり動かしたりするのが難しい。少し時間が欲しい」という説明を行った。またそれまでに「少しでも多めに購入して欲しい」というお願いを出したが客先が協力していただけず増産対応が遅れた事実も丁寧に説明し理解を求めた。

リーマンショック後一旦物が流れ出すと注文が殺到した