オイルショックの時
2008年から2009年にかけてリーマンショックという経済危機を経験したあらゆる経済活動が停滞し、お金が回らなくなった。客先の発注がどんどん減っていきお金が入らなくなり運転資金がなくなるに至って、ついに会社は減産の判断を行った。私は重厚長大な企業にいたが、こういう企業は一旦減産すると莫大な固定費用のために収益は大きくマイナスに傾く。そのため固定費として持っているものを可能な限り減らす努力を行う。私の会社でもある意味聖域でもあった人の解雇にも手を付けることになった。さすがに本体の解雇に手をつけられないのでいくつかの下請け会社の社員を数100名切ることになったが、最後は捨て台詞を残して会社を去る人たちを見た。元々こういう時のために敢えて正社員でなく、下請け企業を使うということになっていたものの、いざ解雇となると親会社に文句の一つも言いたいことは容易に理解できた。経済危機の恐ろしさをまざまざと感じた時だった。ところがこの危機を総括している時に1970年代のオイルショックの事を学んだ。当時私の勤めていた工場は創業間もない頃だった。大型設備をどんどん増産して客先の需要に対応していこうという時にオイルショックが来た。そしてリーマンショックと時と同様、運転資金が枯渇すると、会社は次々と設備停止の判断をしたそうだ。設備に付随して働いていた社員は仕事がなくなり、ある人は工場のグランドの草むしりをやったとか、女性社員は主に社員食堂の飯炊きを行ったとかいった話を聞いた。結果として行け行けの企業体質は影を潜め、毎月の収支を常に考えながら万が一のリセッションに対応する方針が打ち出された。

オイルショックの時は社員は設備を止め草むしりをした。