喫茶店で考える癖

 昔から喫茶店というのは私にとって特別の存在だった。つらい時は喫茶店で反省をし、動揺するような事件を経験した時には喫茶店でじっくり善後策を考えた。また大学生の頃は日中の30~40%をジャズ喫茶で過ごした。喫茶店の中でもうもうとした煙草の煙に囲まれると何故か心が安らぐような気がした。この時代の喫茶店はある意味で「逃げ込む場所」だったかもしれない。学生時代の多感な時期は様々な思いに揺れ動いた。そして心の整理をする意味で喫茶店に入り何かを考えていた。喫茶店から出る頃にはそうしたもやもやした気持ちは消えてしまい、心は晴れていたような気がする。そしてそうした自分のライフスタイルを考えて、「今日はこの喫茶店に入ろう」という私なりの喫茶店に関する美学が芽生えていったような気がする。ところがある時期から喫茶店はその輝きを失いどんどん消えていった。残っているのは昔ながらの個人経営で常連の集まる店だけになっていった。しかしその状況も最近変わってきたような気がする。定年退職して数ヶ月私は働かずぶらぶらしながらよく喫茶店を巡った。そういえば最近はまた喫茶店の数が増えてきたように思う。私と同様学生時代に喫茶店で色々な事を考え、友人と語り合った世代の人がこういう場を欲していたのではないだろうか?実際喫茶店に来る客層を見ていると、若い人はそれほど多くなく私とそう変わらない年代の年配の人が多いように思う。そして昨今の喫茶店は種々のモーニングメニューを用意しており朝から満員の店も多い。そして昔はなかったジャズ音楽が店内に流れているのも私を引き付ける点だ。

昔から喫茶店で何かを考える癖がついていた

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