制服の変遷

 私は1982年、昭和57年に製造会社に就職した。当時製造会社の社員というのは本当に職工さんが着るような地味?なユニフォームを着ていた。我々新入社員は背広を着て本社へ研修に行ったが、まずロッカーと制服を与えられこれに着替えた。色はねずみ色で、生地は綿でごわごわしていて着心地はあまり良いものではなかった。それでも新入社員の制服は一般社員の制服と比べると妙にぴかぴかしていて浮いていた。回りの社員の人と同じように早く着慣れた感じになりたいと思った。そして配属先が決まり私はある工場の製造課に配属されたが、工場は油まみれの機械で汚れた服を着ている人や高熱作業をして全身がびっしょりした人などがいて本当に労働者の職場に来たという気がした。またよく見ると下請け会社の社員も工事会社の社員も皆ねずみ色の作業着を着ており、平等というのか差がないというのか工場は「地味一色」という感じだったが、それがまた私には「男の職場」という印象だった。ところがこういう「男の職場は地味」というイメージは徐々に変化するようになった。製造現場は当時世間からは3Kと言われ、「きつい」「汚い」「危険」といった悪いイメージがついて回っていた。優秀な新入社員を取りたい企業はこの3Kのイメージを払しょくしようと色々な努力をしていた。個室の独身寮を準備したり、給与を上げたり、社内の福利厚生の宣伝をしたりした。さらに制服についてもどぶねずみ色は爽やかな印象からかけ離れていてこれをモダンな服装に変えられていった。私が定年する頃には鮮やかな青や赤を使った配色の制服に、事務職は安全靴でなくスニーカーを履くようになった。

入社した頃は鼠色の地味な作業着だった

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