アメリカでの事業撤退説明
米国経営の会社の買収にあたってまず欧州部門の会社を買収し、次に本体の米国を買収した。この間およそ1年半色々あったが、最終的に金銭面の合意が双方でできて晴れて買収が完了した。米国部門を買収する上で懸案事項の一つは、日本ですでに事業撤退をしたビジネスを米国はまだ続けていたという点だった。欧州は早々にこのビジネスから撤退していたし、日本も私がビジネスリーダーの時代に判断をして撤退を完了していた。米国の経営陣もこのビジネスが中国へ移っていくビジネスであることを理解しており、中国メーカーに技術の売却も行っていたが、実際の米国の工場は依然として稼働しており、まず日本人がこの事業撤退について現地の人に理解させる必要があった。このビジネスはコンピューターの基幹部品に使われるものだった。1980年代日本は初期のパソコンの中心国となって隆盛を極めていたが、ちょうどその時代に我々もこの事業を始めた。しかしその後こうした電子電機部品は市場が韓国~台湾~中国へと移り、2010年代後半には日本では特殊品を除き大きくシュリンクしてしまっていた。日本でこの事業から撤退する際に経営陣であった私はある例えを使って事業構造の説明をした。「この事業はむかで競争のようなものだ。一人一人が皆倒れないようにしないと全体のビジネスがうまくいかない。ところがすでに日本では多くの関連企業が弱くなってしまった。このままではいくら我々が強くても、日本のコンピューター全体のビジネスは倒れてしまうだろう」と。賢い米国人はすぐにこの理屈を理解し、このような説明を現地組合や労働者に説明し合意を得たとのことだった。

日本で止めた仕事を米国でもたたむことにした