中国への進出を考えた時期
2000年頃から中国の目覚ましい台頭が始まった。大きな市場と安い人件費を売り物に中国政府から工場誘致の話が多数寄せられた。すでに我々の会社はある電子部品の仕事で中国に合弁会社を持っており、この跡地を利用して中国進出をしてはどうかという検討を行った時があった。当時はありとあらゆる日本企業が中国への進出を進めていた。そしてまずは「熱烈歓迎」の言葉に乗り、中国政府や自治体に毎夜のように宴会や接待を受け多くの日系会社は「中国大好き」にさせられていった。我々の会社もこの自治体幹部との顔合わせまでは話を進めていた。しかし冷静に実態を見ていくと色々条件に問題があった。私の担当するビジネスにはノウハウと言うべき特殊な「鼻薬」を使用していた。この薬により素材の機能は著しく上がることが知られていた。この薬の開発は一朝一夕にはできるものではなく、長い年月をかけて、日本国内で日本企業同士で秘密保持契約を結んで作ってきたものだった。ところが中国企業からはこうした秘密保持にあたるようなノウハウも開示して欲しいという条項を突き付けられた。中国はいくら個別企業とは言っても必ず上位には共産党が政府として個別企業を監視していた。ある企業のノウハウは国家としてある研究機関が一括して管理するというようなシステムもあった。長年かけて血のにじむ努力をして得たノウハウをそんな簡単に出すわけにはいかないという判断で結果我々は中国進出を断念した。そして「競争力ある海外拠点」としては、それまで育ててきたマレーシア拠点で代替することを決意するに至った。結果的にはこの判断は正解だった。

2000年代初頭に中国進出を検討したが・・・