日本ブルース史

 SNSを見ていたら私の音楽の感性を揺り動かす広告が出ていた。それはリットーミュージック社のギターマガジンという雑誌の2024年7月号の「実録にっぽんブルース史」というタイトルだった。サブタイトルは「~あの頃、BLUESを弾かない者は人間でなかった~」というまさに私がずっと思っていたことだった。私が主としてブルースにはまっていた時期は1974年(高3)ぐらいからだが、日本におけるブルースの詳しい出来事を時系列的に知ることができた。1960年代初頭にBB・Kingが初来日をする~1966年に日本で初めてNHKで黒人ブルースに関する「ブルースの魂」が放送された。それを聞いた関西のブルースマンが次々とブルースバンドを結成した。京都ではブルースハウスブルースバンドやウエストロード・ブルースバンドが1960年代後半に結成。そして私の中では最も感動したバンドだったBREAKDOWNが1976年に結成されている。そしてこのブルースのムーブメントは横浜を中心とする関東圏へも広がっていった。その中で興味深かったのはゴールデンカップスというバンドのエディー・藩という人だ。彼は華やかなグループサウンズというバンドにいながら、ブルースにはまっていく。彼が1975年に作曲した名曲には、俳優藤竜也が歌ったことで有名になった「横浜ホンキートンクブルース」がある。1982年に私は就職が決まって京都を離れることになるが、高3ぐらいから就職までの京都での7~8年の間私はまさに日本ブルース史の黄金期のど真ん中にいたと言っても過言でない。あらためてあの頃に感じた気持ちの高揚を冷静に整理することができた。

私の1970年代の青春を思い出させる記述が一杯あった

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA