クリント・イーストウッドに助けられた

 クリント・イーストウッドという一世を風靡した映画俳優がいる。今も俳優兼監督として活躍している人だ。実は私はこの人に随分助けられたと勝手に思っている。私はこの人に9才の時(1965年)に京都で会っている。クリント・イーストウッドは最初ウエスタン映画でデビューしたが、彼の出世作となったのはローハイドというTV番組だった。当時私の叔父さんが京都で絹織物の仕事をしていた。工場は美しい日本庭園を有しており、その庭園の見学も兼ねてローハイドの主役メンバーの3名がやってきた。私はこのローハイドの大ファンだったので、彼らが来るや否や英語のコミュニケーションが全くできないにもかかわらず、多くのファンを押しのけて彼らと話始めたらしい。後で当時の「女性自身」の写真に「子供と仲良く遊ぶ〇〇さん」というコメントが書かれている。この時に彼らと一緒に撮った写真はその後海外で仕事をする際に大変役に立った。特にアメリカ人が日本に来ると、「俺はクリントとは昔ながらの友達だ」という話をするとどのアメリカ人もびっくりした。「その証拠はこの写真だ」と写真を見せて、「この中央の背の高いハンサムな青年がクリントで、横にいるキュート?な少年が9才の俺だ」という紹介をしたら場が大いに盛り上がった。2010年代後半に私は欧米各地で駐在員の仕事を拝命したが、欧州も米国も社員の年齢は高く、ローハイドという映画をリアルタイムで見ていた年代の人が多かったので、この私のジョークも大うけする原因になったと思う。こうして少年期から好きだったアメリカの映画俳優は私の人生の後半まで私を助けてくれた。

この写真(私9才、京都にて)が私の海外赴任に大きく役立った。

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