歌や曲を作りたいと思った時の心情
30年ぐらい音楽演奏に関わってきたが何曲かのオリジナル曲を作った。きっかけは何かの曲に感動して自分も作りたいと思った場合がほとんどだった。最初の曲は初めてフォークソングのコードを覚えた頃に作った曲だった。あの頃は毎日毎日が成長の連続だった。毎日新たなコード進行を覚え、「種々の美しい旋律とコード進行」を学んだ。そしてそんな中から心の内をさらけ出すような曲も作った。フォークソングのワンパターンなコード進行に空きた頃、ブルースに出会った。ブルースはコード進行そのものがある意味完成されており変えようがない。「ブルース」も「ブルースみたいな曲」も「「ブルージーな曲」も基本ブルーノートというお決まりの音に少し味を付けたコードを足せばあとは同じコード進行で曲は一丁上がりとなる。当時驚いたのは豊田勇造さんの「高野グランドマンションのブルース」という曲で、自分が住むアパートから出かけて皆に会いに来たという彼のテーマソングのような曲だった。こんなものが人様に聴かせる曲になるならどんなブルースでもOKやと思った。事実当時のブルースバンドにはこの種の曲が横行していた。そして私も御多分にもれず「〇〇のブルース」とか「Blues for XXX」などといういい加減な曲を作って演奏していた。そして初めて米国に一人旅して「Georgia on my mind」に似た曲を作り「ミネソタの夕暮れ」という題名を付けバラードに目覚めた。その後日本やマレーシアでバンドのテーマソングをブルース進行で作った。そして町内ジャズバンドではどさくさでブルース&デキシ―のテーマソングをつくり、これまでの自分の音楽観を総括した。

40年のバンド活動時代に何度か作曲を行った