回りが見えてなかったサラリーマン時代

 思い起こすとサラリーマン時代の私は全く回りが見えてなかったと大変反省する。例えてみれば、純真な少年が世の中はすべて素直にやっていけば何とかなると思っていたという感じだろうか?サラリーマン時代の私はともかく「働く」という新しい使命を受けて、それをひたすらに全うすることだけしか考えていなかった。そしてゴールは「働いた結果、自分及び会社がハッピーになること」だった。しかし良い結果を出してどのように自分がハッピーになるかは全く考えていなかった。がんばれば何となく見返りあるいは良い事が帰ってくるぐらいにしか思っていなかった。だから会社で人よりはやや早く出世したかもしれないが、「少し給料が多くなった」と喜んだだけで、給料が上がったら何を買うとか何にそのお金を新たに活用するかなど全く考えていなかった。そしてともかく目の前にある仕事にひたすら夢中になって没頭した。はたから見れば大変勤勉で好ましいサラリーマンだったかもしれない。しかしいよいよ会社を離れるという数年前になって、老後をどう生きるかとか新たな人生を送るために自分の資産は十分なのかといったことを考える時期が来た。そして人生設計とか資産運用とかいった事を全く考えてこなかった自分自身に愕然とした。そうやって回りを見ると、若い頃から金を買っている奴とか、株式投資に興味を持っている奴の事を思い出した。そういうやつらを見て、「そんな事をしている暇があったらもっと仕事のアイデアを出してくれたら良いのに」とその時は思っていたが、彼らは彼らの将来に向けた考えがあったというわけだ。本当におぼこい私だった。

会社員時代、皆が外で何に夢中になっているのか見えなかった

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