1980年代日本に学ぶ米国企業

 戦争に負けてボロボロの状態から復興を遂げた日本は20年後に「所得倍増」を果たしその後「世界第2位の大国」へと上り詰めていった。一方米国はこの時は国力が落ち、特に国を支えてきた工業はもはや日本式ものづくりにはかなわないとまで言われるようになっていた。1980年代の日本の工業はそういう意味で「世界最高」であり「Japan as No.1」を誇示していた。そんな日本の発展の原因を探り自分たちの経営の参考にしようとした欧米人が多数日本へやってきた。当時の欧米人にとって何が日本を世界一に押し上げたかが正直理解できていなかったようである。私は欧米人が多くやって来た時代のど真ん中にいて彼らの相手をした。最初経営陣が来て我々のトップと話をするがどうもピントが合わない。それで仕方なく現場レベルの人を日本へ送っていわゆる「現場中心の日本式経営」を学ばせようとした。その頃私は欧米人の先生となって彼らの質問に答えていた。彼らが最もわからなかったのは何故現場の人がアイデアを持って「改善」を進めるかという点だった。欧米では「私は指示する人あなたは指示される人」と明確に仕事の仕方が分かれている。一方日本人は「自分で色々やってみたがる」気質を持っており、また欧米のような堅苦しいマニュアルもあまりなく現場が自由にやれた。日本での研修の最後の彼らの結論を今も覚えている。「日本の労働者はまるで自分の会社を経営するように色々な発想で仕事する」というものだった。実際は全く的外れで、現場の自由度が高いのは事実だが、好き勝手にやっている部分が多かったというのが実態だった。結局欧米人は日本式を理解できなかった。

1980年代日本式経営を学ぼうと多くの欧米人が日本へやってきた

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