日系ブラジル人を初めて採用した頃
1990年代の中盤、ジャパン・アズ・No.1で一世を風靡したジャパン・マネージメントもバブル崩壊でそれまでの右肩上がりの業績に陰りが見せるようになってきた。またバブル期の土地神話が崩れ、それを担保にした多くの銀行がばたばた倒れていくような時代がやってきた。私がいた製造会社も自分たちの会社がつぶれないのを最優先課題として、「売上<収支」をスローガンとしたキャッシュフローマネージメントへ移行することになった。その後20年ぐらい日本企業が成長しなかったのもこのキャッシュフロー経営が根本にあったと言っても過言でない。投資を抑えるという前提になれば企業がまずやる事は固定費の削減で、私のいた会社のようなオールドエコノミーでは一番に人件費に手を付けることとなった。そして年功序列の給与体系に批判が集まり、正規社員を減らし非正規社員の採用を優先することとなった。最初は下請け企業への仕事の移行が行われたが、そのうちに政府の労働政策変更により外国人労働者を受け入れる事が許可された。そしてまず先祖が日本人である日系のブラジル人が日本企業で次々と採用されるようになった。元々貧しく必死に南米で働いてきた彼らは勤勉で日本企業の3K(汚い、きつい、厳しい?)の現場にも順応した。そして下請けの日本人に比べ低賃金で雇える外国人は重宝され、「非正規3K労働者の雄」として全面に出るようになった。私は工場で最初に日系ブラジル人を採用したが、最初は彼らの勤労意欲に驚いたものだった。(おかげで若干のポルトガル語も覚えた)その後日本はデフレに陥り、また移民問題につながる外国人問題も招くことになった。

人手不足から外国人労働者採用を決めた


