世間体を気にすることなど意味がない
世間体を気にするという言葉がある。回りの人の生活・行動を見て、標準的なレベルでないと世間の人に笑われるという戒めだと言われている。しかしこれは事実だろうか?人間は人より劣っているものがあると恥ずかしいと思いそれを得られるようになるための努力をし、人より優れているとされるものがあるとそれを自慢しまたさらに上を目指そうとする。これ自体は前向きでありまた人間らしいと言えば人間らしい。しかしよくある話は何か基準を設けてそれを越えないとだめだと勝手にきめつけるというおかしな考えだ。例えば地方地方に残っている風習などは良い例だ。葬式のやり方は地域ごとに異なるが、その地域内ではそのやり方をしないと世間体が悪いと考えていた。私の若い頃は同世代の誰が家を一番に立てたとよく噂をした。また年頃の女性がなかなか結婚しないとどうなっているのと噂をたてられた。暑中見舞いや正月の年賀状など季節の挨拶文はかくあるべきだという話もあった。しかしそうした「世間体を満足させる行動」のほとんどは今残っていない。皇室のような特別なレベルの人たちが儀式として扱う特別なルールを除けば、世間体という理由で「絶対にやるべき」あるいは「絶対にやってはいけない」ことはほとんどないだろう。そして世間体の代わりとして私たちが持っていなければいけないものは「私はどう考えているか?」ということだけだと思う。私はこう考えているからこのように行う/行わないということだろう。こうした行動の基準を私は「美学」と呼んでいる。自分が良い人生を送るにふさわしい「心の在り様」を持つべきだと思っている。

世間体とは人と比べて違いに悩むこと


