激しく議論するのが嫌いだった

 学生時代というものは若者は自分の意見を侃々諤々で他人と議論をするのが一般的だそうである。しかし私はそういう時もあったが、どちらかというとああやこうやと理屈をひねくり回して議論するのを好む方ではなかった。理由の一つは議論が複雑になるからだった。私は何となく単純に考えられるようなものでないと本物ではないという認識を昔から持っていたからである。話が難しくなるのはその議論が真にポイントをついていないからだと思っていた。難しい話になるほど原点からずれた議論しているような気になってしまった。さらに議論が盛り上がれば盛り上がるほど相手をやりこめるような場面が多くなるが、こうしたやり方はおうおうにして相手の性格や人間性を攻撃するような面もあり、結果的に場の雰囲気を悪くする事になったからだ。いわゆる「空気を読まない」議論になってしまうのをあまり私は好きではなかった。また会社へ入ってから信頼する上司から「相手を徹底的に追い込んだらあかん。ある程度逃げ道を残しておいてあげないと最後相手が牙をむく」と言われたのも理由の一つだ。徹底的に議論して追いつめられると相手は自分を恨むのだということを理解した。それで会社へ入ってからは議論をある程度尽くしたら切り上げて次に進むというやり方をしていた。しかし50代半ばから経営の立場で仕事をしないといけなくなってからは結構徹底した議論をせざるを得ないこともあった。そういう時は「心を鬼にして戦う」と自分に言い聞かせて戦ったのを思い出す。昨今「論破する」というのが流行るが今だにあまり好きでない。

激しい議論は相手の間違いをつつくだけでなく人間性まで攻める

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