仕事-国内編
若者のリーダー

 30代前半で職場が変わった。課長より特命業務を受けることになった。1990年代前半は仕事は売り手市場で、若者は簡単に会社を辞めてもっと割の良い?仕事へ移る傾向にあった。ちょうど私が会社へ入社した頃は、会社は上昇期で種々 […]

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仕事-国内編
ファミリーな昔の会社

 私が入社した頃は、会社というものは自分の家のようなものだという感覚があった。会社は社員の将来設計を親身になって応援してくれたし、定年まで会社に勤める前提での種々の福利厚生施策がほどこされていた。例えば制服の無償支給や会 […]

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仕事-国内編
労働災害の経験と安全管理者

 会社員時代何度も労働災害にまつわる経験をした。被害者としてまた加害者としてそして安全管理者として労働災害を経験してきた。会社ほど安全ということに高い意識を持つ場所はないだろう。普段の生活の中では災害なんて起こらないよう […]

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バンド活動と音楽
京都拾得のマンデイライブ

 拾得と言えば京都のライブハウスの草分け的な存在である。昔の蔵を改造して作られた会場は防音が完璧で、異空間とも言うべき特別な雰囲気を醸し出している。拾得がライブハウスとして経営を開始したのは1970年代だが、開設以来本当 […]

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バンド活動と音楽
今出川通りを3往復すると京都が見えてくる

 京都と言えば、寺院が立ち並ぶ地域や、味わいのある街並みなどを挙げる人が多いだろう。しかし生粋の京都人?(母親は新潟生まれ京都育ち、父親は岐阜生まれ東京育ちだが)である私からすると、いかにも京都っぽい場所は観光の匂いがし […]

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バンド活動と音楽
学生時代と京都を取り巻く環境

 生まれて25年間京都にいた。京都人はなかなか本音を見せず、京都は外から来た人にとって住みにくい街だという。私の意見だけかもしれないが、京都人はプライドが強いのではと思う。また京都は観光地であると同時に学生街であり、外国 […]

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バンド活動と音楽
バンド変遷

 色々なバンドの経験をした。最初は高校の文化祭にフォークソングバンドで出た。当時京都で流行っていた高石友也とナタ-シャ7のコピ-バンドだった。次は楽器屋で知り合った社会人のバンドに入った。最初はダンスパーティ-音楽を演奏 […]

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海外駐在編
マレーシアでは色白

 マレーシアは常夏の国だ。日本の夏ほど暑くないが日差しはきつい。そんなことからマレーシアで駐在すると日焼けに気をつけないといけないでしょう?と言われる。しかしこと私については全く無用の悩みだった。平日は7時頃のまだ太陽が […]

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海外駐在編
対中国人、対日本人異なる事故対応

 私はマレーシアでは可能な限り車を持つことは避けていた。平日は契約の送迎バスが会社とコンドミニアムの往復をしており、土日でも仕事なら頼めば会社の専属ドライバーが送迎をしてくれることになっていたので、わざわざ車を持つ必要は […]

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海外駐在編
日本人はオールマイティー

 マレーシア工場で多民族間の問題を色々経験するにつれて、日本人の価値というものを見直すようになってきた。勿論マレーシア工場は元々日本の会社が100%出資の子会社なので、経営権を持っているという点で日本人が強い立場を持って […]

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